ウェットブラストの進化の物語 第3話

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B!

著:代表取締役/松原幸人

マコーとの出会い

今も言われることがあります。
「なぜ、新潟県のマコーが防振ゴム用ウェットブラスト装置の製造を?」

もっともな疑問だと思います。
新潟県には、自動車メーカーも無ければ防振ゴムメーカーもありません。
自動車産業に従事した企業も多くなく、ましてや、装置メーカーとしては生産現場から遠く離れています。

偶発的に発生した事象の重なりに、マコーの今があるのですが、そのひとつ目は、初期型のウェットブラスト・リン酸化成処理装置が満足に稼働できなかった事です。

この装置の設計及び製造は、マコーが手掛けたものではありません。
ウェットブラストに興味を抱いた防振ゴムメーカーの担当者が、関東地方の装置メーカーに作らせたものです。しかし、これがまともに稼働できませんでした。

今から考えれば、これも至極当然の話だと思います。
なぜなら、その装置メーカーにはウェットブラスト取り扱いのノウハウは全くなかったわけですから。

固い粒子であるセラミックと水とを混ぜたスラリーを加工物とし、その雰囲気の中でベアリングやシリンダーなど機械的に作動させるアクチュエーターを使うというシステムは、余りにも過酷な装置環境でした。何らかの工夫が無ければすぐに粒子がアクチュエーターに侵入し、一瞬でガジリ壊れて動かなくなります。
こうした難問を抱えた新工法であるウェットブラストは、まさにゼロベースからの試行錯誤が必要な工法でもあったのです。最初に請けた装置メーカーは、市場も見えず、儲かるかどうかも判らない、このとてつもなく難しい装置を二度と作ることは無いと「撤退」を宣言してしまいました。

困った担当者は知り合いの伝手で別のメーカーを探し当て、そこに再び製造依頼をしました。しかし、そのメーカーには産業機械の設計をする人材はいません。
そこで当時、外部設計として仕事をしていたマコーの創業者に依頼が入ることになります。

チャレンジ

マコーは、上述したような背景を全く知りませんでした。
「実物はあるが図面が揃っていないので図面を起こしてほしい」ということで、当時は小さな外注設計会社でしかなかったマコーは、内容を深く考えることもなく、参考図と実物のスケッチより図面を作成しました。

ところが、実際に作ってみて愕然とします。
まともに動かない。性能が出ない。
ここでようやく、マコーはウェットブラストの難しさを認識します。
何故うまくいかないのか?何が問題なのか?どうすれば良くなるのかの提案と議論を担当者と繰り返し、そして最終的には「一から設計させて欲しい」と申し入れることになりました。

これだけの時間と費用を追加してもうまく稼働しないウェットブラストを、よく担当者は諦めなかったと思います。
品質は圧倒的に良い、装置さえ完成度が上がれば絶対に行ける、いや行かせねばならないという不退転の意思があったように思います。
マコーも食らいつきました。
ウェットブラストは、難しいから面白い。
いずれは製造メーカーになりたいと思っていたマコーは、このウェットブラストに大きな可能性を見いだしていました。

装置の完成度を上げる為には、マコーが責任ある立場とならねばなりませんでした。
マコーは元請けとなり、責任を持った製造を要求されます。
当時のマコーは、設計者が数人しかいない全くの零細企業。頭脳はあっても資金力はありません。
今思えば、よく任せてくれたものと思います。
そこには、このシステムをなんとかしたいという関係者の強い思いだけがありました。
今ではなかなか難しい、夢ある時代であったように思います。

・・・

さて、第3話「マコーとの出会い、チャレンジ」、最後までお読みいただきありがとうございました。

第4話は「電子部品と薬品レス」です。
ウェットブラストは、その特長を活かしたさらなる用途へ展開していきます。

ウェットブラスト進化の物語 第4話「電子部品と薬品レス」はこちらから
https://www.macoho.co.jp/column/history/a25/

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